
本の中の家
〜台所のおと(幸田文)〜
家の軸となる場所は、家族が集い憩う居間であることがほとんどだけれど、この『台所のおと』では台所が家の、家族の軸となっている。
終戦後の復興期に建てられたバラック住宅を都合よく手入れしたという住居兼小さな料理家は、家の真ん中の床を落として台所とし、その両側に客室と寝室、廊下を挟んでもうひとつ客室という間取り。
台所と障子一枚で仕切られている寝室には、主人である料理人の作吉がひと月前から寝込んでいる。その代わりを務め、台所を切り盛りしている妻のあき。根っからの料理人である作吉は、妻が台所で立てる音を追うことを心の慰めにしている。葉ものを洗う水音、ステンレスの鍋の蓋をする音、包丁を扱う音、すり鉢の音、揚げ物の音…そうした音を追うことで、あたかも自分自身が台所に立っているかのような気持ちになれるのだった。
ときに音は、言葉よりも雄弁になる。夫の具合を思いやるとき、ふとした看病疲れが出るとき、妻のたてる音はぐっと小音になる。そしてそれをまた、夫も気遣う。そんな夫のためにあきは、どうにかして爽やかな音が欲しいと願うのだけれども、意図するとかえってわざとらしい音になるようで気が引ける。
台所の音を通して、夫は妻の思いをなぞろうとし、妻は夫を思いやる。それは燃えるような激しさはないけれど、たしかな重みと温かみを持った夫婦愛で、台所の音は、そんなふたりが奏でる和音なのかもしれない。二人にとってもはや、台所は単なる料理場の域を越え、気持ちのやり取りの場となっているように思えてならない。

ある日夫は、妻の揚げ物の音を褒めて言う。
「あれは、あき、おまえの音だ。女はそれぞれ音をもってるけど、いいか、角だつな。さわやかでおとなしいのがおまえの音だ。その音であきの台所は、先ず出来たというもんだ」
































